2016/04/22

主語の人称代名詞と be動詞の連結音

【新・英語屋通信】(71)

 英語話者の98%以上は going to を gonna と発音している。ところが、映画やテレビで gonna と言っているのに、字幕の80%くらいが going to と表記している。統計を取ったわけではないが、この数字は当たらずと言えども遠からずと感じる。
 going to は「しに行くところ」という意味から転じて「するところ」「するつもり」「しそう」という幅広いニュアンスで使われるチャンク(chunk=語群)で、be動詞のあとに続けて be going to の形式で多用されている。英国の文法書では、この種のチャンクを verbs resembling auxiliary verbs(擬似助動詞)と定義している。
 英語の書き言葉は、単語ごとの「分かち書き」を原則としている。一方、話し言葉では、単語間の「連結」が生じるため、分離・結合が発生して、音の短縮・省略・変質が起こる。主語になる人称代名詞に be動詞の am・are・is が連結されるさいの<主語+be動詞>型では、母音が続くため 'm・'re・'s と短縮されるケースが多い。この結合関係はきわめて強固だから、gonna を添えたとき、その前で区切る音則が生じる。
  I'm   gonna(アイム、ガナ) 〔i-e〕〔m〕/〔g〕〔弱〕〔n〕〔弱〕
  you're gonna(ユア、ガナ)  〔y〕〔ur〕
  he's  gonna(ヒーズ、ガナ) 〔h〕〔ee〕〔z〕
 I'm では am の〔-a-〕が消失している。you're では〔u-e〕が子音の〔y〕に変身している。he's では is の〔-i-〕が省かれる。<主語+be動詞>の結び付きの固さはさておき、gonna の前で音声が一休みする理由は、この語句自体を際立たせるためでもあろう。
 ところが、疑問形になると、主語と be動詞の倒置が起こるので、am・are・is の本来の音声が維持されて、後ろに続く主語と連結するとき、子音の重なりが生じるため、下記のような音則を作る。
  am_I   gonna(アマイ、ガナ)  〔-a-〕/〔m〕〔i-e〕
  are_you  gonna(アユー、ガナ)  〔弱〕〔u-e〕
  is_he   gonna(イズィー、ガナ) 〔-i-〕/〔z〕〔ee〕
 am I では am が分離されて、語尾子音が I とリンキングされる。are は you にくっついて弱母音で軽く発音される。is he は is が分離されて、子音の重複を避けて〔h〕が黙字化され、語尾子音が he の母音とリンキングされる。肯定形と疑問形では、かくも発音が違ってくるので、書き文字の単語どおりに読むと、間違った発音になると知っていただきたい。
 また「wh 疑問文」を作るとき、5W1H(who・what・when・where・why・how)を文頭に置くルールがある。「文の要素」となる「wh 疑問詞」は目的語や副詞類となるので、単独に発音する場面が多く、後ろに続く<be動詞+主語>は、結び付きが強固な関係のまま維持される。下記の例文を実際の音声で聞いてみよう。
(1) Who are_you gonna see?
(2) What are_you gonna do?
(3) Where are_you gonna go?
(4) When are_you gonna know?
(5) Why are_you gonna go?
(6) How are_you gonna remember?
 通常の日常会話に比べると、 録音された音声(Melody & Bob Godin による)はゆっくり発音しているため、are you 以外は前後の語句とはっきり区切られている。実際の会話では、地域差のみならず、個人差も少なからずあって、are you が 're you や 'er ya など、いろいろに発音されている。変化のバリエーションが多いだけに、基準になる発音は必ずモノにしておかなければならない。
 be動詞が人称代名詞と結び付くときの発音現象の理屈に通じておけば、いずれはっきり聞き取れるようになる。また、この種の頻出するチャンクを自家薬籠中のものにしておけば、注意を払わなくても聞き取れる部分が多くなって、キーワードだけ把握できればいいわけだから、リスニングの聞き取りがとても楽になる。幼児期に正しい英語で身に付けておけば、発音や文型で苦労しなくていいけどが、成人後に学ぶ者は理屈を押さえておかないと絶対に前進できない。確信を持って申し上げる。
(Bob Godin)
2016.4.22(金)

2016/04/12

すべての保育園にAETを配置せよ

【新・英語屋通信】(70)

 「三つ子の魂、百まで」を直訳すると“The soul / of a three year old / stays / until a hundred.”となる。英語の諺言の“The leopard cannot / change his spots.”(豹は自分の斑紋を変えれない)とニュアンスがよく似ているが、いずれも早期教育の大切さを示唆する言葉にほかならない。
 子供はおもに親から母語を学んでいる。父親が英語話者で、母親が日本語話者なら、その子供たちの多くは英・日両語を話すバイリンガルになり、両親が聾唖者なら手話が使えるようになる。言語は環境で形成されていると断じてよかろう。
 母語は「多量」に用いるがゆえに身に付くのであって、言葉遣いの「良質」な家庭に育てば、意図せず話し方の名手になっている。英語は日本人の母語ではないから、身に付ける必要があれば、“Strike / while / the iron is / hot.”(鉄は熱いうちに打て)のとおり、早期教育で学ぶのが理屈に適っている。“Practice / makes perfect.”(練習は完全を導く)は、いうなれば「習うより慣れろ」ということだ。
 とすると、語学教育は幼少期を最も重要視すべきで、就学年齢を現在より3歳早めて、その期間に英語学習を汲み入れればいい。言語は無意識に獲得されるほうが定着しやすいからだ。幼児期に英語の話し言葉に習熟しておけば、15年か20年後には日本人の多くが英語話者なみになって、コスモポリタンとして活躍する図が見えてくる。
 近年、小学校での英語授業がうんぬんされているが、根拠の希薄な役立たずの議論は時間のロスで、費用対効果の面で税金の無駄遣いでしかない。対策は簡単だ。いま中学校以上に配属されているAETを保育園勤務にシフト替えするだけで十分だ。
 当初はインストラクターによる指導の質が伴わないだろうが、NHKのプレキソ英語などを土台にカリキュラムを作って、AETを訓練して準公務員にしてあげれば、いまの何千倍もの成果が期待されると断言できる。
 YES(Yamaguchi English School)の世羅洋子氏が山口県宇部市の保育園・幼稚園で英語の発音を教えて成果を上げている。英単語を読んで、書けて、聞けて、正確に言えるけれど、音声だけマスターしても、単語力を増強したり、実用できる文型の幅を広げなければならないので、小学校の間は英語学習を続けなければならない。いまのところ、世羅氏を信頼する理解のある親御さんの子供たちだけが得をしている。
 教育格差を生まないためには、幼児教育は義務化すべきで、保育園に入れない「待機児童」(感心するほどの誤魔化し言葉)の人数が万を超えるなんて、情けない国家と評するしかない。児童の面倒を見る保育士さんを最重要の教育者と見なすべきなのに、わが国の現状は彼らを就学前のお手伝いさん代わりとしか認識していない。彼らは過剰な労働時間に耐えて、総じて優れた業務をこなしているものの、小学校の教員より低い待遇に甘んじている。少子化の折、保育士さんの待遇を教員なみに引き上げたところで大してお金は掛かるまい。世羅氏の授業を見るにつけ、英語を上手に教えるためには、保育士さんの力が是非とも必要だと思う。
 悪貨が良貨を押さえ込む世の中で革新を提案すると、既得権側から袋叩きに遭って、すさまじい抵抗を受けるけれど、波風の立たないところに改革は生まれない。高い障壁を乗り越えて、いつ改革を始めるかに、わが国の将来が掛かっている。
 幼少期での教育者の存在の大きさは、ヘレン・ケラー(Helen Keller)とアン・サリバン(Anne Sullivan)の関係において明らかだ。親の次に大切な教育者は、小・中・高・大の教員でなく、nanny(乳母)であったことを歴史の事実が証明している。
(S・F)
2016.4.12(火)