2016/08/17

学校はそもそも、学習“量”を投入できる場ではない

【新・英語屋通信】(75)

【Q】小学5・6年生の英語が“外国語活動”から“教科”に格上げされ、年間の授業時数が70コマに増えて、3・4年生にも外国語活動を新設する試案が中央教育審議会から公表され、2020年からの実施を示唆する学習指導要領のことを新聞で知りました。小学校で授業時数が増える問題はさておき、この案を採用すれば、日本人が英語を使えるようになれるのでしょうか?(東京都練馬区の小学1年生の母親からの質問)

【A】言語はそもそも、身に付けてナンボの技術だから、スポーツや芸事と同様、良質のトレーニング法で“絶対量”の繰り返し練習をこなす必要があります。どんなに優れた授業でも、教室で学ぶだけでは練習不足になります。学校まかせにしては、どんなスキルも会得できません。学校で教える英語は、実用向きではないので、あまり期待しないほうがいいでしょう。
 母語は、おもに母親と周囲の人から約3年間かけて獲得されます。人は夢の中でも言葉を使っているようですが、睡眠時間を丸々差し引いたとしても、3歳までの言語習得期間は17,500時間を超えています。
 一方、小学校の授業時数は、1コマが45分間だから、70コマ掛ける2年間で計算すると、わずか100時間強しかありません。3・4年生時代の準備段階を加えても、母語が身に付く期間に比べると、学習量は100分の1にも達しません。言語習得に必要なだけの“絶対練習量”が圧倒的に不足しています。
 ノーム・チョムスキーの研究で明らかなように、人の脳には言語の生得文法が具わっていて、母語はその機能を用いて定着されます。したがって、日本語が脳内に固定されてしまうと、他言語の「構造」を受け付けにくくなる(「発音」は0歳時で入力される)ため、小学生3年生から外国語を学ぶのでは遅すぎです。バイリンガルになれる期間は、おもに幼児期だから、外国語学習は遅くとも保育児のころから始めるべきです。
 現在、小・中・高校に配置している全AET(英語補助教員)を保育園に再配置して、遊び半分的な効率の良いレッスンをすれば、10年後には日本人の若者の80%以上が英語話者なみに英語を使えるはずです。現行の中・高におけるAET制度は、費用対効果が限りなく低く、税金の無駄遣いになっています。
 学校とはそもそも、教室で「これこれしかじか」という基礎の概念を教えるだけで、何かをマスターするための学習量は、課外活動に委ねられています。予備校や塾に丸投げされたり、進学校ではブロイラーを飼育するかのような状況に生徒を置いて猛勉強させています。部活もまた、練習量を強要する場で、ブラック部活が横行する現象は、生徒の拘束時間の長さが証明しています。
 しかし、“量を学べる部活”を有効に活用すれば、日常英会話なら中学生時代で使える水準に到達できます。合唱部よりうんと少ない練習量で済むでしょう。ピアノやサッカーより十倍くらい簡単です。技術をモノにするには、効果的な「メソッド」のもとに、練習手順を要領よく整えた「テキスト」を利用して、教え上手の「インストラクター」から学んだうえで、「自習を重ねる」ことに尽きると断言できます。
 学校は一通りのことを教える場であって、本気で何かを学びたければ、課外の自学に徹すべきです。スポーツ選手や芸術家は、ほぼ全員が自主トレで技術を上達させています。技術の修得には、他力本願は通用しません。外国語を自家薬籠中のものとするには、質に優れた方法と教師を自分で探して、自分自身で「量的なトレーニングを実施できる学習システム」を採用しなければなりません。

2016.8.10(水)