2016/02/26

〔n〕と〔ng〕の違いに気付かせないと……

【新・英語屋通信】(66)

 NHKの英語番組で‘pen’に含まれる3つの音を3人の英語話者が1つずつ発音する場面があって、とんでもない大間違いをやらかしていた。
 語中音〔-e-〕は、単音のまま言える母音だから、間違えようがないが、語頭音〔p〕には妙な母音を添えて、語尾音〔n〕は〔ng〕と発音していた。ただし、3人は最後に口を揃えて正確に“pen.”と言っていた。英語話者に子音を1つだけ発音させると、たいてい不要な音を入れ込むが、子音だけでは単独に発音しにくいからで、間違っているわけではない。問題はこの番組の制作関係者が〔n〕と〔ng〕の違いを無視していることだ。
 私はプライマリイ・デイ・スクールの校長からPV法を教わった。〔p〕から始めて、私が余分な母音を入れて発音したら、すぐ訂正された。校長は閉じた口を開けるだけで、ほとんど音を出さないので、私は口を形を見せているのかと思って、母音付きの〔p〕を繰り返した。すると、今度は top と言ったあと、開けた口から唇と真一文字に結んで閉じた。やはり音を出さない。私はしばらく何が示されているのか気付かなかった。
 大学時代に私は中国語を選択して、最初の発音レッスンを子音の「b・p・m・f」から始めて、母音の「オ」を添えて「ポ・ボ・モ・フォ」のように発音するピンインの手法で指導された経験がある。中国語の「b・p」は「無気音・有気音」の違いで、日本人にはどちらも「パ行」音に聞こえて、母音なしで区別できないから当然の方策だが、PV法を教わる前まで私は母音付きの子音の練習法に疑問を感じていなかった。
 なぜなら、フォニックスで綴りの〔p〕を教えるとき、 po・pa・pu のように母音を入れて発音したあと、単語の pat・pen・pig・pomp・puff などと教えているからだ。
 vowel(母音)は voice(声)の親戚で、consonant[con(共)+son(音)+ant(接尾辞)=(vowel)と共に音を出す]を「子音」としたのは、けだし名訳と思う。
 PV法は音声学を下敷きにしているので、45種の単音を徹底的にトレーニングする。英単語は<子音+母音+子音>を1音節を基準とするので、語尾子音が分離されて、次の単語にくっつくため、単音の訓練を怠ると、英語の発音は永久にモノにできない。
 NHKには優秀なタレントが大勢いるのに、どことなく独善的で、自分たちの体たらくに気付いていない。日本人はお上を信じる民族だから、文句を言わずに視聴料を払っているけど、嘘を教えて知らんぷりとは本当に困った連中だ。
(S・F)
2016.2.26(金)

2016/02/17

『日本人が忘れてしまった日本語の謎』山口謠司著

【新・英語屋通信】(65)

「ン」には〔m〕〔n〕〔ng〕3種がある
 本書の第3章は<「ん」はもともと日本語なのか>というテーマで、英語の〔m〕〔n〕〔ng〕の3種の「鼻音」の違いを明瞭に示しています。サブタイトルに<「ん」の誕生とルーツに隠れた謎>とあり、中身を読めば、「ん」が中国語に由来して、導入者が空海で、普及者が最澄だったとわかります。
 本書はさらに、仏教説話を収録した『今昔物語』が「ん」を多用した歯切れのよい文体であると指摘し、諸行無常をテーマとする『平家物語』もその一役を担ったと例示しています。法師が琵琶を弾きながらストリートライブで物語っていた様子を思い描くにつけ、「ん」がいっきに国風化された状況に納得させられます。
 中国語をかじった者なら、「san」と発音する「三・傘・散」などを仮名で「サン」と書き、「sang」と発音する「喪・桑」が仮名で「ソウ」になる関係に気付かされます。
 朝鮮語に入門すると、数の「三」を「サム」と発音すると知ります。「サム」は隋・唐期の中国音で、わが国でも室町時代まで「サム」と表記していたようです。ちなみに、朝鮮語の「品」は「ホム」で、日本語では「ホン」として「九品寺」(クホンジ)という地名が至る所に残っています。ハングルでは「ㅁ」(m)と「ㄴ」(n)を厳密に区別しますが、現代日本語の発音は口の筋肉をあまり使わないため曖昧になるのでしょう。
 空海は「ン」の導入にさいして、曼荼羅の思想ともども「阿吽」という言葉を借りたと著者の山口氏は述べています。阿吽は「一方は口を開き、一方は口を閉じた仁王像」で表現されています。また、五十音は「ア」で始まり「ン」で終わるとか、阿吽の呼吸などもあって、特別扱いされる意味深い言葉です。
 山口氏は「撥音」の「ン」において、〔m〕系を「唇内撥音」、〔n〕系を「舌内撥音」、〔ng〕系を「喉内撥音」という専門用語で示していますが、英語の鼻音に相当します。そして、「日本」のローマ字表記は nihon だが、「日本橋」なら〔n〕が〔m〕に転化する日本語特有の「連音」で nihombashi となる例を挙げています。また、同氏の夫人はフランス人で、日本語をローマ字表記するさい「ガンモドキ」の「ン」は〔m〕とし、「リンゴ」では〔n〕とする例も紹介しています。
 さらに、英語での連音が company・combat・command と〔p〕〔b〕〔m〕の前では〔m〕になり、それ以外の contact・condemn・convention・concentration などでは〔n〕になる理由も解説しています。
 無声音〔p〕・有声音〔b〕・鼻音〔m〕のいずれも上下の唇を閉じたまま発音する「両唇音」で、これに対応する〔t〕〔d〕〔n〕が上の歯茎を叩く「歯茎音」で、〔k〕〔g〕〔ng〕は舌の後方を利用する「軟口蓋音」であると音声学が定義しています。3つの鼻音以外の6音は、母音を続けるとき音が出て「破裂音」になりますが、本書は英語の27個の子音のうちの9個の関連性を明解に教えています。言語に対する著者の愛情がほとばしり出たオリジナル性の高い素晴らしい1冊です。
 江戸期の国学者である本居宣長が上古の日本語には「ン」が存在しなかったと指摘しているそうです。ともあれ、日本人が「ン」を発音できて、表記するまでにはあまたの試行錯誤があったようです。現代日本人は無意識に〔m〕〔n〕〔ng〕の3種の発音を言い分けていますが、表記は「ン」ひとつで間に合わせています。理屈はともかく、英語を話したければ、必ずこの3音を使い分けできなければなりません。
(編集部)
2016.2.17(水)

2016/02/06

わが国は教育立国だが、英語教育だけがねえ

【新・英語屋通信】(64)

 文部科学省が2015年6月末から7月にかけて全国の国公立中学3年生の約6万人を対象に英語力を測定した初のテストの結果を公表した。英検3級(短く簡単な文の読み書きや聞き取りができる)程度に達していない生徒が「聞く」の面で約80%もいたとは驚きだが、一方で「やっぱりそうだったのか」と確認できた。

  <英語力別の生徒の割合>(中学3年)
              読む   聞く   書く  話す
  A2(英検準2級程度) 3.0 %  2.1 %  0.1 %  ----
  A1上位(3級程度)  23.1 %  18.1 %  43.1 %  32.6%
  A1上位に達しない   73.9 %  79.8 %  56.7 %  67.4%

 「話す」の対象者は約2万人だったが、A2(日常の範囲で単純な情報交換ができる)が0%とはねえ。文科省は「生徒は苦手分野を把握し、教員は授業改善につなげる」ことを狙いとして、英語力を上げるために2019年度から4技能を測る全国テストを始めるとコメントしているが、遅すぎるだろうと言いたくなる。病気とわかっているのに、原因を特定できないから、治療法を確立できない状況かもしれない。
 「生徒が苦手分野を把握し」と言っても、0%なら全部が苦手なのじゃありませんか、と問い返したくなる。「教員は授業改善につなげる」と言っても、この成績では英語の何を教えているのか現場を覗いてみたくなる。文科省は傍観省なのか!
 スポーツ界での日本人の活躍は華々しい。日本の選手は体力面で外国人より劣っているけど、多くの競技で目を剥くような好成績を収めている。誰もが自分の好みの競技に参加できる社会的なインフラが敷かれていて、進歩著しいスポーツ科学がデータ分析をして、適切なトレーニングを提供できているからだろう。
 芸術の分野も卓越している。音楽のクラシック界には人材が溢れ、美術界は絵画・造型はもとより、なかでもコミックはダントツだし、伝統芸能もしっかり継承されている。大学教育が充実しているせいか、優れた指導者が全国の隅々まで配置されている。
 わが国はモノづくり大国でもある。工業は重・軽を問わず、精密産業の職人は凄腕揃いだし、ロボットやコンピューターやバイオなどの近未来産業もお手のもので、技術教育も世界のトップグループを走っている。
 自然科学系では、日本人学者が毎年のようにノーベル賞を受賞している。理科・数学が苦手な子供が多いと言われて、教員の指導力に偏りがあるようだが、世界と比べて後塵を拝しているとは思えない。物理・化学・生理・医薬などの理科系のノーベル賞候補が目白押しに育っているから、高等教育は順調なのだろう。
 ところが、英語力だけが世界の最下位をうろついている。世界からの情報を英語でキャッチできる者が少なく、ディスカッションもできないから、ビジネスや政治はいかれっ放しに近い。テクノロジイの発想力が凄くても、外国人と協調できなければコスモポリタンになれない。学習者と指導者のどちらに問題があるのか、はたまた日本人は英語を学びたくないのだろうか?
 いやいや、英語教材の出版数は圧倒的に世界一だし、巷には英会話教室が軒を連ねている。英語をモノにしたがる日本人の動機・欲求の異常な熱さは、火を見るより明らかだ。漢字・仮名・ローマ字を併用して表記する世界一難解な書き言葉を駆使できている日本人に語学のセンスや能力が備わっていないはずがない。
 結論を言うと、教わる側のせいではない。教える方法が間違っていて、指導者は不在に等しく、教えるための適切なツールが普及していないだけにすぎない。ゆえに、学習者は「願望」だけを強く抱いて、「目標」を設定する術を知らない状況が続いている。
 物事に上達するには、それ相当の筋トレをしなければならないが、英語力の獲得の道は甘くないのに、学習者は「聞くだけで話せるようになる」などというたわごとが罷り通る低いレベルに据え置かれている。
(S・F)
2016.2.6(土)