2016/09/16

フリースクールが日本の英語教育を救うか

【新・英語屋通信】(76)

【Q】フリースクールに通う者にとって、英語はどう自習すればいいでしょうか?

【A】生涯学習的に言うと、フリースクールには、公立学校より有利な点が多々あります。十人十色と言うように、人それぞれ「個人ごとに学び方が異なる」からです。吉田松陰が幕末の萩(山口県)で始めた松下村塾は、いうなればフリースクールでした。わが国の近代化の礎を築いた個性的な人物が、村塾の門下生の中から数多く輩出されています。教育は本来、画一的に扱う対象ではないということです。
 フリースクールの「フリー」は、アメリカでは「無料」のことです。欧米ではカリキュラムを自由に選択して学べる alternative school のような教育システムを取り入れた場をフリースクールと言います。わが国では「不登校の生徒が通う非学校的な施設」と定義されていますが、公立校で達成できなかった技術を身に付けるには、フリースクールは最適の場と言えます。せっかく自由時間を存分に使える機会を得たのに、いじめからの逃げ場にするだけではもったいないでしょう。
 フリースクールでは検定教科書を使わずに済むので、学習者は全教科を自由な方法で学べます。歴史をはじめ、公立校での社会科の授業は、枝葉末節な事柄の丸暗記を強いるだけで、大脳皮質に貯えられる記憶が少ないため、実社会での物の役に立ちません。
 歴史学とは、人間と社会の実例を把握して、未来を生きる糧にするための教科です。授業時数が足りないからと言って、近代史を教えない学校があるとはおぞましいかぎりです。
 日本史の古代は朦朧としているので、神話以降は神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭……と50代目の桓武帝までをリズムで覚えて(よく忘れますが)時代区分の目安とし、9世紀以降の平安・鎌倉・室町・戦国・江戸までの各時代は、話の節目がわかりやすいので、世界史と関連させて、事件・人物・場所を学べば、死ぬまで使える知識にできます。
 国語は「読み・書き・直す」ことの「三多」が大切です。日本語は4種類の文字を使いこなす「書き言葉」を重視する世界でも類のない特殊な言語です。『古事記』は日本語を漢字で書いた本で、わが国の文化・科学は7世紀から大半を漢文で伝承してきました。
 したがって、ひとまず漢字の形・音・義を知ることが優先されます。桜の旧字は「櫻」ですが、「2階(貝)の女が気(木)にかかる」などと語呂で覚えたうえで、「財」に関係する「貝」偏の漢字の成り立ちを知り、その10個か20個の字義を考えながら10回か20回くらい書いて覚えれば、もう決して忘れません。
 言語は感覚だから、歌を覚えるように、古文の冒頭部分を記憶しておけば、国語力は安定します。俳優は常に筋の通ったセリフを暗記するので、話し方が上手になるのです。法律などを学ぶときには、屁理屈的な文解釈の技術が必要ですが、国語はロジックだけの学問ではないから、常識的思考の範囲で学ぶのが原則です。
 さて、学校の英語教育について言うと、現在は“無”に等しい状況です。日本人の英語力が低すぎるせいか、巷に溢れる英語塾には紛いものが多く、テレビ番組も子供騙しの非実用品です。英語は言語だから、話し言葉から入りますが、フリースクールには自由に使える学習時間が多くありそうで、しかも仲間といっしょに学べるようで、英語学習に適した環境と思えます。
 フリースクールを出た大勢が英語を使えれば、公教育側はカリキュラムを根本的に考え直さなければならず、教育界の無策ぶりが露呈されて、英語教育のあり方を改めるきっかけになるかもしれません。フリースクールを英語教育の改革の場にしたいものです。
 ただし、フリースクールから世界に冠たるスポーツ界や芸術家の逸材が輩出されることはないでしょう。そもそも練習用器材が十分にないし、指導者が少ないためにトレーニングの質を欠くし、練習量を投入できる環境にありません。もしフリースクールから世界で活躍する逸材が出るとしたら、それは別途に個人レッスンを重ねた賜物でしょう。フリースクールでは、実用的な知識と技術を身に付けるだけで十分です。
 一方、公立学校では部活がスポーツの一流選手を養成する場になったりします。理数系の教科書には必要な内容が網羅されており、消化力のあるエリートにとっては好ましい教材と言えます。学校教育にもそれなりの利点があり、学びたいと願う生徒には効率の良い場になります。
(解答は当社の社長が話した内容を編集したものです)
2016.9.16(金)

2016/08/17

学校はそもそも、学習“量”を投入できる場ではない

【新・英語屋通信】(75)

【Q】小学5・6年生の英語が“外国語活動”から“教科”に格上げされ、年間の授業時数が70コマに増えて、3・4年生にも外国語活動を新設する試案が中央教育審議会から公表され、2020年からの実施を示唆する学習指導要領のことを新聞で知りました。小学校で授業時数が増える問題はさておき、この案を採用すれば、日本人が英語を使えるようになれるのでしょうか?(東京都練馬区の小学1年生の母親からの質問)

【A】言語はそもそも、身に付けてナンボの技術だから、スポーツや芸事と同様、良質のトレーニング法で“絶対量”の繰り返し練習をこなす必要があります。どんなに優れた授業でも、教室で学ぶだけでは練習不足になります。学校まかせにしては、どんなスキルも会得できません。学校で教える英語は、実用向きではないので、あまり期待しないほうがいいでしょう。
 母語は、おもに母親と周囲の人から約3年間かけて獲得されます。人は夢の中でも言葉を使っているようですが、睡眠時間を丸々差し引いたとしても、3歳までの言語習得期間は17,500時間を超えています。
 一方、小学校の授業時数は、1コマが45分間だから、70コマ掛ける2年間で計算すると、わずか100時間強しかありません。3・4年生時代の準備段階を加えても、母語が身に付く期間に比べると、学習量は100分の1にも達しません。言語習得に必要なだけの“絶対練習量”が圧倒的に不足しています。
 ノーム・チョムスキーの研究で明らかなように、人の脳には言語の生得文法が具わっていて、母語はその機能を用いて定着されます。したがって、日本語が脳内に固定されてしまうと、他言語の「構造」を受け付けにくくなる(「発音」は0歳時で入力される)ため、小学生3年生から外国語を学ぶのでは遅すぎです。バイリンガルになれる期間は、おもに幼児期だから、外国語学習は遅くとも保育児のころから始めるべきです。
 現在、小・中・高校に配置している全AET(英語補助教員)を保育園に再配置して、遊び半分的な効率の良いレッスンをすれば、10年後には日本人の若者の80%以上が英語話者なみに英語を使えるはずです。現行の中・高におけるAET制度は、費用対効果が限りなく低く、税金の無駄遣いになっています。
 学校とはそもそも、教室で「これこれしかじか」という基礎の概念を教えるだけで、何かをマスターするための学習量は、課外活動に委ねられています。予備校や塾に丸投げされたり、進学校ではブロイラーを飼育するかのような状況に生徒を置いて猛勉強させています。部活もまた、練習量を強要する場で、ブラック部活が横行する現象は、生徒の拘束時間の長さが証明しています。
 しかし、“量を学べる部活”を有効に活用すれば、日常英会話なら中学生時代で使える水準に到達できます。合唱部よりうんと少ない練習量で済むでしょう。ピアノやサッカーより十倍くらい簡単です。技術をモノにするには、効果的な「メソッド」のもとに、練習手順を要領よく整えた「テキスト」を利用して、教え上手の「インストラクター」から学んだうえで、「自習を重ねる」ことに尽きると断言できます。
 学校は一通りのことを教える場であって、本気で何かを学びたければ、課外の自学に徹すべきです。スポーツ選手や芸術家は、ほぼ全員が自主トレで技術を上達させています。技術の修得には、他力本願は通用しません。外国語を自家薬籠中のものとするには、質に優れた方法と教師を自分で探して、自分自身で「量的なトレーニングを実施できる学習システム」を採用しなければなりません。

2016.8.10(水)

2016/06/14

言葉は習慣だから、英語は口癖にする

【新・英語屋通信】(74)

【Q】NHKに「アナザー・ストーリーズ」(another stories)という番組があります。「another=an other」だから、another の直後の名詞を複数形にする言い方に違和感を覚えます。ネイティブさんに聞いていただけませんか。
(H・T)


【A】間違いと申していいでしょう。その番組は知っています。秘話(a secret story)と言うか、裏話(an inside story)を3種類くらい紹介する構成のドキュメンタリィだから、あえて言うなら the other stories となりそうです。
 other は「ほかの」という意味で、品詞が determiner(決定詞または限定詞)だから、後続の名詞を限定する役割の単語です。数えられる名詞(可算名詞)を後ろに続けるとき、other なら other words(ほかの言葉たち)と複数形を続けることが可能です。また「もう1つの」と特定するときは the other side(別の側)などと言いますが、三角形なら1辺に対する別の辺が2カ所あるので the other sides of a triangle(三角形における他の2辺)という表現になります。「不特定の複数および特定された単数・複数」などに対して、other の使われ方は厳密です。
 another は other の対象になる可算名詞が不特定の単数のときに用いる単語だから、いうなれば the other ではない状況です。日常会話で「話をそらさないで」と言うとき、“That's another story.”(それは別の話だ)とか、“That's quite another thing.”(それはまったく別の事柄だ)と言いますが、これらの慣用句に a (an)≒ another の関係がよく示されています。
 ちなみに、one after the other(代わる代わる)は「特定された the other に続く one だから、2つの関係」に対して用い、one after another(次から次へと)は「特定されていない another に続く one だから、3つ以上」に対して使う語句です。とすると、each other(互いに)と one another(互いに)においても、同じく「2つと3つ以上の法則」が適用されるはずですが、必ずしも守られていません。
 以上、other と another の原則的な使い方を傍観しましたが、要するに言葉は癖だから、誤用であっても、多数派が正しくなり、理屈を超越して成り立つ場面があります。
 『万葉集』の巻末に大伴家持の「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」の歌では、「新」を「あらた」と読むようですが、現代語では「あたら」と読みます。とはいうものの、「新たに」の「新」は「あら」だから、古語がいまなお現代語の中に引き継がれています。
 other と another について言うと、英語の核のような存在だから、ちょっとくらい異なる遺伝子が入り込んでも、いまのところ両者の関係にひびが入ることはなさそうです。下記に other と another の慣用語句を掲げておきます。

〔other と another の慣用句〕
 “Any other question(s)?”(何らかの質問)
 in other words(言い換えれば)
 the other way(反対に)
 on the other hand(他方では)
 “How about another cup of coffee?”(もう1杯のコーヒー)
 in another three years(別の3年間)
 another of the books(もう1冊の本)

 言葉は理屈で覚えるものではなく、音声を介して習慣にするものです。日本語では感覚が曖昧な other および another を使う言葉は、口に慣らすことが肝要です。1つの語句を100回(1分間強)ほど繰り返して言えば口癖にできます。(編集部)

2016.6.14(火)

2016/05/18

スピーキングはリスニングに先行する

【新・英語屋通信】(73)

【Q】来月出張でシンガポールに行くことになりました。現地でのイベントスケジュールを聞くために、担当者のメールアドレスを聞いてやり取りしていたところ、先方より「メールを読んでいると英語ができそうなので、当日自分の通訳としていくつか仕事を手伝ってくれないか?もし引き受けてくれるなら、イベントのボランティアスタッフとして登録して、宿泊費はこちらで持ちます」とオファーがありました。
 当方の英語力は、読み書きはまあまあとして、聞き話すほうは海外旅行時に困らないくらいのレベルであって、通訳としての役目を果たせるかについてはあまり自信がないけど……と率直に伝えたところ、「大丈夫。スピーチの大要は事前に書いて渡すし、そんなに難しい内容ではないから。日本語・英語ともに業界用語がわかる人を探していたところだったんだ。助かったよ。じゃあ、よろしくね」と、いつの間にか引き受ける流れになってしまいました。出張まであと1か月弱、誰が何を話すかわからないので、事前に練習しようもないけど、何かトレーニングしておいたほうがいいのではないかと不安もよぎります。このような状況では、どんな予習?練習?をするべきでしょうか?
(N・T)

【A】上手な英語を話そうとしないことです。現在の実力が出れば十分でしょう。実力以上の英語を使えたらラッキーですが、奇跡に近い話です。
 言語の“最終直前目標”は「リスニング」です。相手の話が聞き取れなければ、答えようがないでしょう。相手が「何をどんなふうに話すか」わかりませんが、リスニングは脳が対応する受身の技術です。
 自分が過去に聞いたことのない“発音・単語・文型”は理解できません。聞いたことがなければ、自分で使ったことがないはずです。つまり、脳内在庫が足りないのだから、リスニングに先立って、スピーキングで「顕在意識を潜在意識化」させる学習を必要とします。ありていに言えば、リスニングよりスピーキングの練習をして、使える英語の在庫を増やすことです。実際に現場で使うと、減らない在庫が脳内に増えていきます。
 脳内倉庫を整理したいなら、ロバート・オーシュリ著『英語のゴールデン・ルール』を利用するといいでしょう。出張にはバブ・ゴーデン著『アメリカ旅行の英会話文法』を持参すると役に立つはずです
(編集部)
2016.5.18(水)

2016/05/10

ピアノを弾くより英語音の修得は容易

【新・英語屋通信】(72)

 英語の発音はたぶん、ピアノを弾くより格段に易しい。ピアノを弾ける者がわが国にどの程度いるか不案内だが、ピアノ教室の普及度からすると、少なくとも最低1000人に1人くらいは習い事の1つにしてきた様子だから、英語を話せる潜在人口は、どんなに少なく見積もっても、この分野だけで10万人は下らない計算になる。
 ピアノにはドレミファソラシの7音階しかないが、白鍵が低音部から高音部まで7段階と少しあって、半音の黒鍵が5段階ずつあるから、すべてを併せると90音弱ある。標準米語の英語音は、PV法には45音(子音27・母音18)だけで、ピアノのキーの約半数しかない。しかも、ピアノは両手で弾くため、半端な技術ではモノにできない。
 野球のボールを打つとき、バットを握る両手が「同時」に動くから、意識的な思考が働くことはない。ボールを捕って投げるときは、左右の手を「交互」に使うから、無意識に対処できている。ボールを捕球する手に片方の手を添えるが、両手の動きが「主従」の関係にあるので、複雑な動きとは感じない。いずれも「連動」する動作だからであろう。
 ところが、ピアノを弾く両手は、異なる音階を同時に出すため、頭が混乱して手の動きと一致させにくい。ピアノを片手だけで弾くのは、さほど困難ではないが、両手を揃えるとなると、英語音を正しく発音するより何十倍も難しい。ピアノでは教則本の最初期の練習曲 Butterfly(蝶々)を正しく弾けるまで何百~何千回と練習しなければならない。
 英語の発音では、舌・唇・歯・顎・喉などを同時に動かすので、口の筋肉を約100カ所ほど使うものの、1つのキーサウンド(単音)は10回も練習すれば、正確な音を出せるようになる。あとは口から無意識に音が出てくるまで繰り返し言い続けるだけだから、英語の音声修得は、ピアノを両手で弾くより明らかに質量両面で簡単と思う。
 PV法はキーサウンドとキーワードをいっしょに練習するので、おのずと音の連結まで理解できてしまう。余裕があれば、併行して chunk(チャンク=語群)のトレーニングに取り組むと修得しやすい。
 慣用句の“I should've known.”(やっぱり)の should've は、should have の<法助動詞+完了動詞 have>型のチャンクで、音の並びは〔sh〕〔-oo-〕〔d〕〔弱〕〔v〕となっている。主語の人称と動詞の過去分詞形を取っ替え引っ替えして、言葉が使われる場面をイメージしながら、応用形を練習すれば脳内に定着させられるであろう。英語を理解するには、頻繁に使われるチャンクをひととおり身に付けておく必要があるが、音符の組み合わせに比べるべくもなく、その数は圧倒的に少ない。
 音符を3つか4つ組み合わせた1小節は、1音節の単語と似ている。そして、4小節くらいが1つのチャンクに相当する印象がある。音声面において、音楽は常に言語の上位に位置している。
 ピアノの練習では、初心者の期間は1回10~15分間ずつを1日3回くらいレッスンすれば、前日より少しだけ上達した音色が自分の耳に届いてくるので、わずかな進歩でもわかりやすい。そのうち練習が楽しくなって、有段者級になるまで、モチベーションが下がることはあまりなかろう。
 残念なことに、英語の発音は、上達の程度を測定しづらいため、練習に取り掛かる意欲が湧きにくい。学習においては、具体的で効率の良い手段を常に必要とするが、PV法の利用では、ひとまず英語話者の音声をダビングして、そのあとに空白を作っておいて、自分の声を録音して比べれば、気付きが多くあって、練習がしだいに楽しくなる。
 自分なりの学習法を組み立てる努力が肝要で、出来合いの教材をそのまま使うだけでは本物の筋力は作れない。「肥より鍬」と言うように「教材よりも練習」が大切である。
 英語の発音練習では、最初は1回5分間ずつを1日3~10回くらい練習するだけでよく、無理して長い時間を学んでも、集中力が薄れると、身に付くものは少ない。最初は退屈かもしれないが、上達するにつれて、細部が気になるようになり、思わず知らずトレーニングを重ねてしまう。
 PV法を軸に、英語の発音練習を本気で3カ月もやれば、成人でも英語のネイティブ・スピーカーなみの発音になっている。5歳の幼児なら1カ月も要しない。「米一粒、汗一滴」とも言うから、練習を積む以外に物事の成就はない。
(S・F)
2016.5.10(火)

2016/04/22

主語の人称代名詞と be動詞の連結音

【新・英語屋通信】(71)

 英語話者の98%以上は going to を gonna と発音している。ところが、映画やテレビで gonna と言っているのに、字幕の80%くらいが going to と表記している。統計を取ったわけではないが、この数字は当たらずと言えども遠からずと感じる。
 going to は「しに行くところ」という意味から転じて「するところ」「するつもり」「しそう」という幅広いニュアンスで使われるチャンク(chunk=語群)で、be動詞のあとに続けて be going to の形式で多用されている。英国の文法書では、この種のチャンクを verbs resembling auxiliary verbs(擬似助動詞)と定義している。
 英語の書き言葉は、単語ごとの「分かち書き」を原則としている。一方、話し言葉では、単語間の「連結」が生じるため、分離・結合が発生して、音の短縮・省略・変質が起こる。主語になる人称代名詞に be動詞の am・are・is が連結されるさいの<主語+be動詞>型では、母音が続くため 'm・'re・'s と短縮されるケースが多い。この結合関係はきわめて強固だから、gonna を添えたとき、その前で区切る音則が生じる。
  I'm   gonna(アイム、ガナ) 〔i-e〕〔m〕/〔g〕〔弱〕〔n〕〔弱〕
  you're gonna(ユア、ガナ)  〔y〕〔ur〕
  he's  gonna(ヒーズ、ガナ) 〔h〕〔ee〕〔z〕
 I'm では am の〔-a-〕が消失している。you're では〔u-e〕が子音の〔y〕に変身している。he's では is の〔-i-〕が省かれる。<主語+be動詞>の結び付きの固さはさておき、gonna の前で音声が一休みする理由は、この語句自体を際立たせるためでもあろう。
 ところが、疑問形になると、主語と be動詞の倒置が起こるので、am・are・is の本来の音声が維持されて、後ろに続く主語と連結するとき、子音の重なりが生じるため、下記のような音則を作る。
  am_I   gonna(アマイ、ガナ)  〔-a-〕/〔m〕〔i-e〕
  are_you  gonna(アユー、ガナ)  〔弱〕〔u-e〕
  is_he   gonna(イズィー、ガナ) 〔-i-〕/〔z〕〔ee〕
 am I では am が分離されて、語尾子音が I とリンキングされる。are は you にくっついて弱母音で軽く発音される。is he は is が分離されて、子音の重複を避けて〔h〕が黙字化され、語尾子音が he の母音とリンキングされる。肯定形と疑問形では、かくも発音が違ってくるので、書き文字の単語どおりに読むと、間違った発音になると知っていただきたい。
 また「wh 疑問文」を作るとき、5W1H(who・what・when・where・why・how)を文頭に置くルールがある。「文の要素」となる「wh 疑問詞」は目的語や副詞類となるので、単独に発音する場面が多く、後ろに続く<be動詞+主語>は、結び付きが強固な関係のまま維持される。下記の例文を実際の音声で聞いてみよう。
(1) Who are_you gonna see?
(2) What are_you gonna do?
(3) Where are_you gonna go?
(4) When are_you gonna know?
(5) Why are_you gonna go?
(6) How are_you gonna remember?
 通常の日常会話に比べると、 録音された音声(Melody & Bob Godin による)はゆっくり発音しているため、are you 以外は前後の語句とはっきり区切られている。実際の会話では、地域差のみならず、個人差も少なからずあって、are you が 're you や 'er ya など、いろいろに発音されている。変化のバリエーションが多いだけに、基準になる発音は必ずモノにしておかなければならない。
 be動詞が人称代名詞と結び付くときの発音現象の理屈に通じておけば、いずれはっきり聞き取れるようになる。また、この種の頻出するチャンクを自家薬籠中のものにしておけば、注意を払わなくても聞き取れる部分が多くなって、キーワードだけ把握できればいいわけだから、リスニングの聞き取りがとても楽になる。幼児期に正しい英語で身に付けておけば、発音や文型で苦労しなくていいけどが、成人後に学ぶ者は理屈を押さえておかないと絶対に前進できない。確信を持って申し上げる。
(Bob Godin)
2016.4.22(金)

2016/04/12

すべての保育園にAETを配置せよ

【新・英語屋通信】(70)

 「三つ子の魂、百まで」を直訳すると“The soul / of a three year old / stays / until a hundred.”となる。英語の諺言の“The leopard cannot / change his spots.”(豹は自分の斑紋を変えれない)とニュアンスがよく似ているが、いずれも早期教育の大切さを示唆する言葉にほかならない。
 子供はおもに親から母語を学んでいる。父親が英語話者で、母親が日本語話者なら、その子供たちの多くは英・日両語を話すバイリンガルになり、両親が聾唖者なら手話が使えるようになる。言語は環境で形成されていると断じてよかろう。
 母語は「多量」に用いるがゆえに身に付くのであって、言葉遣いの「良質」な家庭に育てば、意図せず話し方の名手になっている。英語は日本人の母語ではないから、身に付ける必要があれば、“Strike / while / the iron is / hot.”(鉄は熱いうちに打て)のとおり、早期教育で学ぶのが理屈に適っている。“Practice / makes perfect.”(練習は完全を導く)は、いうなれば「習うより慣れろ」ということだ。
 とすると、語学教育は幼少期を最も重要視すべきで、就学年齢を現在より3歳早めて、その期間に英語学習を汲み入れればいい。言語は無意識に獲得されるほうが定着しやすいからだ。幼児期に英語の話し言葉に習熟しておけば、15年か20年後には日本人の多くが英語話者なみになって、コスモポリタンとして活躍する図が見えてくる。
 近年、小学校での英語授業がうんぬんされているが、根拠の希薄な役立たずの議論は時間のロスで、費用対効果の面で税金の無駄遣いでしかない。対策は簡単だ。いま中学校以上に配属されているAETを保育園勤務にシフト替えするだけで十分だ。
 当初はインストラクターによる指導の質が伴わないだろうが、NHKのプレキソ英語などを土台にカリキュラムを作って、AETを訓練して準公務員にしてあげれば、いまの何千倍もの成果が期待されると断言できる。
 YES(Yamaguchi English School)の世羅洋子氏が山口県宇部市の保育園・幼稚園で英語の発音を教えて成果を上げている。英単語を読んで、書けて、聞けて、正確に言えるけれど、音声だけマスターしても、単語力を増強したり、実用できる文型の幅を広げなければならないので、小学校の間は英語学習を続けなければならない。いまのところ、世羅氏を信頼する理解のある親御さんの子供たちだけが得をしている。
 教育格差を生まないためには、幼児教育は義務化すべきで、保育園に入れない「待機児童」(感心するほどの誤魔化し言葉)の人数が万を超えるなんて、情けない国家と評するしかない。児童の面倒を見る保育士さんを最重要の教育者と見なすべきなのに、わが国の現状は彼らを就学前のお手伝いさん代わりとしか認識していない。彼らは過剰な労働時間に耐えて、総じて優れた業務をこなしているものの、小学校の教員より低い待遇に甘んじている。少子化の折、保育士さんの待遇を教員なみに引き上げたところで大してお金は掛かるまい。世羅氏の授業を見るにつけ、英語を上手に教えるためには、保育士さんの力が是非とも必要だと思う。
 悪貨が良貨を押さえ込む世の中で革新を提案すると、既得権側から袋叩きに遭って、すさまじい抵抗を受けるけれど、波風の立たないところに改革は生まれない。高い障壁を乗り越えて、いつ改革を始めるかに、わが国の将来が掛かっている。
 幼少期での教育者の存在の大きさは、ヘレン・ケラー(Helen Keller)とアン・サリバン(Anne Sullivan)の関係において明らかだ。親の次に大切な教育者は、小・中・高・大の教員でなく、nanny(乳母)であったことを歴史の事実が証明している。
(S・F)
2016.4.12(火)

2016/03/26

「努力対成果」を発揮できる英語学習で!

【新・英語屋通信】(69)

 「結局、自分が使えない音は、聞き取れないとわかって、一から発音をやり直そうと決心して、パパの会社のホームページから『英語の発音とリスニングの音則』に関するバブさんの解説をダウンロードして聞いてるけど、口の動かし方を教えてくれるインストラクターがいないんで、ちゃんとした練習ができないのよ」と娘婿が愚痴った。
 パパとは私のことで、動物の絵だけで特製した“PV法チャート”をこの4月に小学校に上がる孫に見せているときの横槍だった。「やっと、きたか!」と私は胸中で膝を叩いた。彼は英会話物アプリのあれこれに手を出して、電車で片道1時間半以上の通勤中イヤホンを耳にしているので、私が「努力対成果」が限りなくゼロに近いよと告げていたけど、10年かかって、ようやく正しい英語学習法の前に立てたのである。
 彼の勤務先がミャンマー人を何人か雇っていると聞いたので、彼らの英語力と発音の特徴について尋ねると、「ミャンマーでは英語で学校の授業をしてるんで、彼らは英語で考えることができて、英字情報から技術を手に入れてるわけよ。俺の英語力では内容のある話ができないし、発音の程度なんてわからない」と言う。言葉は脳から出てくるので、使用言語で考えないと口から出てこないのは当然だが、「PV法・語源法・チャンク法による発音・単語・文型の三位一体学習法」を娘婿に気付かせるのすら10年もかかったのだから、世間に向けてどう普及すればいいか、有効な道筋がなかなか見えてこない。
 「1万語くらい覚えても、日常会話もできない。ふつうの英語話者は10万語くらい知っているらしい」と彼が言うので、私が「日本語は4種の文字を使うし、自分を指す示す言葉だけで“俺・僕・私・我・小生・当方”など、方言抜きで何十もあって、繊細な言語感覚が必要だけど、英語の己は I ひとつで済むから、思考がシンプルなのよ。話し言葉では、単語が音節でちぎれて、後ろの語とくっつくから、it's gonna (it is going to) や I'll hafta (I will have to) などはひとまとめのチャンク(語群)でパターン訓練しとかないと、単語の意味を知ってても、会話にはついていけない」と返しておいた。
 娘婿はフットサルを趣味にするスポーツ好きだから、基礎の大切さをよく知るが、母語を無意識に覚えたせいか、英語学習では近道を10年間も無駄に求め続けて、効果の得られない努力をしてきた。外国語学習はスポーツや芸事と同種の技術だから、「質の良い」練習法で「量を多く」こなす以外に獲得の道はない。
(S・F)
2016.3.26(土)

2016/03/11

電脳翻訳機が近未来に人間に勝利する

【新・英語屋通信】(68)

 囲碁の対局でコンピューターがついに人間の名人を打倒した。チェスは人間側が早々に敗北して、将棋は人間のA級棋士とほぼ互角の状態にあるが、囲碁には「劫」という特殊なルールがあるから、人間には適わないだろうと見くびっていた。
 チェスは取った駒を使えないので、指し手の範囲が狭くなり、人工知能に負かされるのは時間の問題だったが、将棋は取った駒を何度でも再利用できるので、当分は大丈夫だろうと高を括っていた。ところが近年、将棋のプロ棋士を相手に肉迫する勝負を見せつけるにつけ、コンピューターの力倆に注目せざるをえなくなっていた。
 将棋の指し手は、チェスに比べて桁違いに多いけれど、「ビッグデータ」の収集が可能になり、コンピューターを何台か接続すれば、厖大なデータを処理できると知った。飛び抜けの超・激・猛スピードで演算できる“京”級のスーパーコンピューターを利用すれば、次に挑戦を受けるのは“言語”の番であろうと確信している。
 人間の言語「脳力」は凄いけれど、将来は電脳くんの敵ではなかろう。人は言いたいことを瞬時に口からすらすら出している印象だが、じつはじつにアバウトで、必ずしも完璧に「適切な」表現ができているわけではない。
 そこで「適切な」という意味の最適な類似表現は何だろうと考察したら、最初に「ピッタシカンカン」という言葉が頭に浮かんだ。ついで、どんな格言があるかと考えたら「合わせ物は離れ物」が浮かんだが、英訳すると“What has been joined may come aprt”となるから、may が入ってくるぶんニュアンスがちょっと違っている。
 西洋の諺の“Extremes meet.”を和訳すると「両極端は一致する」としかならないし、「餅は餅屋」を英訳すると“Every man is most skillful in his own business”となるから、“A small snake knows the way of a large snake.”(蛇の道は蛇)と似たり寄ったりだなあと思いながら、私の脳がギブアップしろと命じたので、深追いをやめた。
 年を取ると、脳の sea horse(海馬)中の神経細胞の働きが鈍って、新しい言葉が入りにくくなり、そのうえ cerebral cortex(大脳皮質)への送信機能が落ちているので、言葉の蔵にストックが増えないし、適切な表現も取り出せなくなる。
 近未来の自動翻訳機なら、適切な例を1つ示して、類似表現をいくつか掲げて、最適の新表現を提示してくるかもしれない。アメリカのクイズ荒らしがコンピューターのワトソンくんにシャツポを脱がされたし、とどのつまり、どんな天才も人間の脳力には限りがあるということだろう。
 ここまで書いたあと、ことわざを1000個くらい収録した小冊子を手に取って、索引を開いたら、ほとんど知っている表現ばかりで、しかも半分以上は使ったことがあることに改めて気付かされた。でも、すぐに利用できなかったから、単なる持ち腐れでしかなく、人の脳はやはり有限な存在なのかと再認識させられた。
 ともあれ、電脳くんの進化は目覚しすぎて、韓国のイ・セドル九段は連敗した。日本の井山裕太本因坊は7冠王の達成寸前だが、世界戦ではイ名人のほうが実績があるから、囲碁もコンピューターに制覇されたと見なしてよかろう。
 イ名人が対戦した囲碁ソフトの AlphaGo は「画像認識」によって、「大局観」を手に入れたとのことで、deep learning(深層学習)ができるようになり、つまり「自らで学ぶ能力」を獲得して、対応力が飛躍的にアップしたとのことだ。
 つまり、コンピューター自身が「想定外のことを想定できる」ようになったしだいだが、考えてみれば、私の携帯電話もどんどん言葉を覚えている。翻訳機能が付与されるのも、遠い未来ではなかろう。コンピューターの力を借りるのは、喩えれば畑で耕運機を使うようなものだろうが、人間社会は人間同士のスキルで勝負しているのだから、言葉はやはり自分の脳力で使われている。もちろん英語も!
(S・F)
2016.3.11(金)

2016/03/05

英語は、フィリピン英語で学ぶべきではない

【新・英語屋通信】(67)

 NHKは最近おかしい。わが国の英語教育をテーマにして、中学生の学校現場を取材して、フィリピン人のインストラクターから英会話の個人レッスンを受けるシステムをBSニュースで紹介していた。
 教室の生徒全員が端末の前に座って、それぞれ別々のインストラクターから指導を受けている。レッスン料は1人25分間が1,000円(?)とのことで、放映された“How are you?”“I'm fine.”などのやりとりは、同局の『プレキソ英語』より初歩的な内容で、同番組をきちんと視聴して自習すれば授業料など要らない。
 というより、フィリピン人から英語の発音指導は受けないほうがいい。日本人の生徒が“Thank you.”を正しく発音しているのに、教え手が「ノーノーノー、センキュー」と言い直させていた。タガログ語に thank の〔th〕音がないため、フィリピン人は舌の後方を盛り上げてこの音を出す傾向があって、〔s〕とか〔t〕に近い音に聞こえる。最近の若い日本人は、正確な英語音を聞き慣れているので、間違いには違和感を覚えるはずだ。
 〔th〕は上歯を舌先に当てて出す音で、その有声音には the をはじめ、this・that・they・then などの使用頻度の高い英単語がひしめいている。with this では〔th〕の有声音が連結して1つ消失するが、正しい発声ができない者には聞き取れない。外国語には母語にないサウンドがあるから、音声学に基づく口の筋肉トレーニングをする必要があるが、〔th〕は日本語にもないので、特訓して咀嚼しておかないと先に進めない。
 学びの場は“楽しい”ほうがいいに決まっているが、技術の習得には“厳しく”取り組む必要がある。にもかかわらず、NHKはフィリピン人は優しいから英語に親しみやすくなるなどと、木に縁りて魚を求むがごときトンチンカンな解説を加えていた。
 フィリピン人の英語の発音がどの程度のレベルにあるのか、英米人に聞いてみるがいい。この番組を見たアメリカ人のR・O氏が目を剥いて、呵々大笑した。国名の Philipines の語頭音〔ph〕は〔f〕の別の綴りだが、フィリピン人は上歯を下唇に当てないから〔p〕になって「ピリピン」のように言う人が多いよとも言い添えた。
 フィリピン英語は pidgin(語法が簡略化された混声言語)ではないが、Creole(混交言語)的な面があって、発音だけでなく、語法も本物の英語とやや異なっている。変則英語を丸暗記しても、英米人の実用英語にはついていけない。
 日本語は高度に発達した言語だから、日本人は母語のまま超弩級の学問を受けられるが、タガログ語は難しい情報を扱いにくいとのことで、フィリピンでは高等教育を英語で行なっている。だから、彼らの高学歴者は物事を英語で考えて、何不自由なく英語を使えているが、アメリカ人のお笑いのネタにされることもある。
 日本語を話せても、一般の日本人は教える技術を持たないのと同様、英語話者の誰もが英語を上手に教えられるわけではない。半世紀前の日本語での特殊方言の使い手は、標準語を聞いて理解したが、彼らが話すと、他県の者には聞き取れなかった。現代のフィリピン人の英語の発音は、かなり良質になっているが、自分たちの発音癖に大半の者が気付いていない。ゆえに、英語音に白紙状態の日本人がフィリピン英語を教わると、英語話者が聞き取りにくい発音になると覚悟してほしい。
 英語の習得は、スポーツや芸事での学びに似て、正しい方法で基礎を教わる必要があるが、次世代の日本人には英語の学習法を教えるだけで間に合うと思う。実践会話は1年やそこらで身に付くものではないから、練習量のこなしは自習しかなかろう。英語の学習法だけなら、1週間で会得できる技術もあるから、学校はそれを伝授するだけでいいし、そのじつ授業時間はそれしかない。
 なお、フィリピンでの現地指導は1週間(毎日約8時間)で20数万円(?)とかで、ほかと比べて半額だと言っていた。たぶん儲けの大半は経営側の懐に入るだけで、フィリピン人インストラクターの手取りはごくわずかだろう。フィリピン人の雇用の手助けにはほとんどなるまい。英語学習はそもそも教育だから、営利事業として成り立ちにくく、英会話塾がブラック企業化して事件を起こす様子から那辺の事情を読み取れる。
 NHKのニュースを見て、フィリピンに行きたいと知り合いの日本人の若者が言い出した。日本人の英語学習法の無知につけ込んで、教育を食い物にする場当たり的なビジネスの展開にNHKは片棒を担ぐべきではない。かりそめにも公共放送だし、庶民はNHKの情報を頼りにしていることを自覚していただきたい。昨今のNHKの姿勢は戦前の大本営発表をそのまま放送した当時と酷似してきた。おお、こわ!
(S・F)
2016.3.5(土)

2016/02/26

〔n〕と〔ng〕の違いに気付かせないと……

【新・英語屋通信】(66)

 NHKの英語番組で‘pen’に含まれる3つの音を3人の英語話者が1つずつ発音する場面があって、とんでもない大間違いをやらかしていた。
 語中音〔-e-〕は、単音のまま言える母音だから、間違えようがないが、語頭音〔p〕には妙な母音を添えて、語尾音〔n〕は〔ng〕と発音していた。ただし、3人は最後に口を揃えて正確に“pen.”と言っていた。英語話者に子音を1つだけ発音させると、たいてい不要な音を入れ込むが、子音だけでは単独に発音しにくいからで、間違っているわけではない。問題はこの番組の制作関係者が〔n〕と〔ng〕の違いを無視していることだ。
 私はプライマリイ・デイ・スクールの校長からPV法を教わった。〔p〕から始めて、私が余分な母音を入れて発音したら、すぐ訂正された。校長は閉じた口を開けるだけで、ほとんど音を出さないので、私は口を形を見せているのかと思って、母音付きの〔p〕を繰り返した。すると、今度は top と言ったあと、開けた口から唇と真一文字に結んで閉じた。やはり音を出さない。私はしばらく何が示されているのか気付かなかった。
 大学時代に私は中国語を選択して、最初の発音レッスンを子音の「b・p・m・f」から始めて、母音の「オ」を添えて「ポ・ボ・モ・フォ」のように発音するピンインの手法で指導された経験がある。中国語の「b・p」は「無気音・有気音」の違いで、日本人にはどちらも「パ行」音に聞こえて、母音なしで区別できないから当然の方策だが、PV法を教わる前まで私は母音付きの子音の練習法に疑問を感じていなかった。
 なぜなら、フォニックスで綴りの〔p〕を教えるとき、 po・pa・pu のように母音を入れて発音したあと、単語の pat・pen・pig・pomp・puff などと教えているからだ。
 vowel(母音)は voice(声)の親戚で、consonant[con(共)+son(音)+ant(接尾辞)=(vowel)と共に音を出す]を「子音」としたのは、けだし名訳と思う。
 PV法は音声学を下敷きにしているので、45種の単音を徹底的にトレーニングする。英単語は<子音+母音+子音>を1音節を基準とするので、語尾子音が分離されて、次の単語にくっつくため、単音の訓練を怠ると、英語の発音は永久にモノにできない。
 NHKには優秀なタレントが大勢いるのに、どことなく独善的で、自分たちの体たらくに気付いていない。日本人はお上を信じる民族だから、文句を言わずに視聴料を払っているけど、嘘を教えて知らんぷりとは本当に困った連中だ。
(S・F)
2016.2.26(金)

2016/02/17

『日本人が忘れてしまった日本語の謎』山口謠司著

【新・英語屋通信】(65)

「ン」には〔m〕〔n〕〔ng〕3種がある
 本書の第3章は<「ん」はもともと日本語なのか>というテーマで、英語の〔m〕〔n〕〔ng〕の3種の「鼻音」の違いを明瞭に示しています。サブタイトルに<「ん」の誕生とルーツに隠れた謎>とあり、中身を読めば、「ん」が中国語に由来して、導入者が空海で、普及者が最澄だったとわかります。
 本書はさらに、仏教説話を収録した『今昔物語』が「ん」を多用した歯切れのよい文体であると指摘し、諸行無常をテーマとする『平家物語』もその一役を担ったと例示しています。法師が琵琶を弾きながらストリートライブで物語っていた様子を思い描くにつけ、「ん」がいっきに国風化された状況に納得させられます。
 中国語をかじった者なら、「san」と発音する「三・傘・散」などを仮名で「サン」と書き、「sang」と発音する「喪・桑」が仮名で「ソウ」になる関係に気付かされます。
 朝鮮語に入門すると、数の「三」を「サム」と発音すると知ります。「サム」は隋・唐期の中国音で、わが国でも室町時代まで「サム」と表記していたようです。ちなみに、朝鮮語の「品」は「ホム」で、日本語では「ホン」として「九品寺」(クホンジ)という地名が至る所に残っています。ハングルでは「ㅁ」(m)と「ㄴ」(n)を厳密に区別しますが、現代日本語の発音は口の筋肉をあまり使わないため曖昧になるのでしょう。
 空海は「ン」の導入にさいして、曼荼羅の思想ともども「阿吽」という言葉を借りたと著者の山口氏は述べています。阿吽は「一方は口を開き、一方は口を閉じた仁王像」で表現されています。また、五十音は「ア」で始まり「ン」で終わるとか、阿吽の呼吸などもあって、特別扱いされる意味深い言葉です。
 山口氏は「撥音」の「ン」において、〔m〕系を「唇内撥音」、〔n〕系を「舌内撥音」、〔ng〕系を「喉内撥音」という専門用語で示していますが、英語の鼻音に相当します。そして、「日本」のローマ字表記は nihon だが、「日本橋」なら〔n〕が〔m〕に転化する日本語特有の「連音」で nihombashi となる例を挙げています。また、同氏の夫人はフランス人で、日本語をローマ字表記するさい「ガンモドキ」の「ン」は〔m〕とし、「リンゴ」では〔n〕とする例も紹介しています。
 さらに、英語での連音が company・combat・command と〔p〕〔b〕〔m〕の前では〔m〕になり、それ以外の contact・condemn・convention・concentration などでは〔n〕になる理由も解説しています。
 無声音〔p〕・有声音〔b〕・鼻音〔m〕のいずれも上下の唇を閉じたまま発音する「両唇音」で、これに対応する〔t〕〔d〕〔n〕が上の歯茎を叩く「歯茎音」で、〔k〕〔g〕〔ng〕は舌の後方を利用する「軟口蓋音」であると音声学が定義しています。3つの鼻音以外の6音は、母音を続けるとき音が出て「破裂音」になりますが、本書は英語の27個の子音のうちの9個の関連性を明解に教えています。言語に対する著者の愛情がほとばしり出たオリジナル性の高い素晴らしい1冊です。
 江戸期の国学者である本居宣長が上古の日本語には「ン」が存在しなかったと指摘しているそうです。ともあれ、日本人が「ン」を発音できて、表記するまでにはあまたの試行錯誤があったようです。現代日本人は無意識に〔m〕〔n〕〔ng〕の3種の発音を言い分けていますが、表記は「ン」ひとつで間に合わせています。理屈はともかく、英語を話したければ、必ずこの3音を使い分けできなければなりません。
(編集部)
2016.2.17(水)

2016/02/06

わが国は教育立国だが、英語教育だけがねえ

【新・英語屋通信】(64)

 文部科学省が2015年6月末から7月にかけて全国の国公立中学3年生の約6万人を対象に英語力を測定した初のテストの結果を公表した。英検3級(短く簡単な文の読み書きや聞き取りができる)程度に達していない生徒が「聞く」の面で約80%もいたとは驚きだが、一方で「やっぱりそうだったのか」と確認できた。

  <英語力別の生徒の割合>(中学3年)
              読む   聞く   書く  話す
  A2(英検準2級程度) 3.0 %  2.1 %  0.1 %  ----
  A1上位(3級程度)  23.1 %  18.1 %  43.1 %  32.6%
  A1上位に達しない   73.9 %  79.8 %  56.7 %  67.4%

 「話す」の対象者は約2万人だったが、A2(日常の範囲で単純な情報交換ができる)が0%とはねえ。文科省は「生徒は苦手分野を把握し、教員は授業改善につなげる」ことを狙いとして、英語力を上げるために2019年度から4技能を測る全国テストを始めるとコメントしているが、遅すぎるだろうと言いたくなる。病気とわかっているのに、原因を特定できないから、治療法を確立できない状況かもしれない。
 「生徒が苦手分野を把握し」と言っても、0%なら全部が苦手なのじゃありませんか、と問い返したくなる。「教員は授業改善につなげる」と言っても、この成績では英語の何を教えているのか現場を覗いてみたくなる。文科省は傍観省なのか!
 スポーツ界での日本人の活躍は華々しい。日本の選手は体力面で外国人より劣っているけど、多くの競技で目を剥くような好成績を収めている。誰もが自分の好みの競技に参加できる社会的なインフラが敷かれていて、進歩著しいスポーツ科学がデータ分析をして、適切なトレーニングを提供できているからだろう。
 芸術の分野も卓越している。音楽のクラシック界には人材が溢れ、美術界は絵画・造型はもとより、なかでもコミックはダントツだし、伝統芸能もしっかり継承されている。大学教育が充実しているせいか、優れた指導者が全国の隅々まで配置されている。
 わが国はモノづくり大国でもある。工業は重・軽を問わず、精密産業の職人は凄腕揃いだし、ロボットやコンピューターやバイオなどの近未来産業もお手のもので、技術教育も世界のトップグループを走っている。
 自然科学系では、日本人学者が毎年のようにノーベル賞を受賞している。理科・数学が苦手な子供が多いと言われて、教員の指導力に偏りがあるようだが、世界と比べて後塵を拝しているとは思えない。物理・化学・生理・医薬などの理科系のノーベル賞候補が目白押しに育っているから、高等教育は順調なのだろう。
 ところが、英語力だけが世界の最下位をうろついている。世界からの情報を英語でキャッチできる者が少なく、ディスカッションもできないから、ビジネスや政治はいかれっ放しに近い。テクノロジイの発想力が凄くても、外国人と協調できなければコスモポリタンになれない。学習者と指導者のどちらに問題があるのか、はたまた日本人は英語を学びたくないのだろうか?
 いやいや、英語教材の出版数は圧倒的に世界一だし、巷には英会話教室が軒を連ねている。英語をモノにしたがる日本人の動機・欲求の異常な熱さは、火を見るより明らかだ。漢字・仮名・ローマ字を併用して表記する世界一難解な書き言葉を駆使できている日本人に語学のセンスや能力が備わっていないはずがない。
 結論を言うと、教わる側のせいではない。教える方法が間違っていて、指導者は不在に等しく、教えるための適切なツールが普及していないだけにすぎない。ゆえに、学習者は「願望」だけを強く抱いて、「目標」を設定する術を知らない状況が続いている。
 物事に上達するには、それ相当の筋トレをしなければならないが、英語力の獲得の道は甘くないのに、学習者は「聞くだけで話せるようになる」などというたわごとが罷り通る低いレベルに据え置かれている。
(S・F)
2016.2.6(土)

2016/01/28

カタカナ語と英語の発音はかくも異なる

【新・英語屋通信】(63)

【Q】錦鯉に「コイヘルペスウイルス」という病気があって、このことについて外国人に伝える必要があったとき、俺の発音が通じなくて困った。(新潟県・鯉師M)

【A】英語で書くと koi herpes virus となりますが、これをローマ字(上段)とアメリカ人の発音によるPV法の表記(下段)を並べて示しておきます。
  〔ko〕〔i〕 〔he〕〔ru〕〔pe〕〔su〕  〔u〕〔i〕〔ru〕〔su〕
  〔k〕〔oy〕/〔h〕〔ur〕/〔p〕〔ee〕〔z〕/〔v〕〔i-e〕/〔r〕〔弱〕〔s〕
 日本語の仮名は、1字1音方式の表音文字で、大半が<子音+母音>型で、「コイヘルペスウイルス」は文字数どおり10音になります。一方、英語は子音・母音ともに「単音」として使うため、合計が12音になります。
 ところが、英語の音節は<子音+母音+子音>型が1音節だから、5音節しかないのに対して、日本語では五十音がそのまま音節化して10音節になるから、英語の話される速度が2分の1近くまで短くなって、日本人には速すぎて聞き取れなくなります。
 聞き取れなければ、英語がどんな音を使って話されているかがわかろうはずもありません。逆説的に言えば、英語の45種の単音(子音27・母音18)を正しく発音できれば、いずれ聞き取れるようになるはずです。では、米語の単音を説明しておきましょう。
 koi は〔ko〕〔i〕ではなく、〔k〕〔oy〕と言います。母音は boy(少年)や oyster(カキ)の〔oy〕の同音で、coy(おしとかやぶった)とまったく同じ発音です。
 herpes の her- の発音は〔h〕〔ur〕です。hurdle(ハードル)・hurricane(ハリケーン)・hurry(急ぐ)・hurt(傷つける)の hur-と同音です。
 hurler(野球のピッチャー)は hurl(投げる=pitch)からの派生語で、やはり同じ音です。「ハーラーダービー」は和製英語です。
 herpes(疱疹)はギリシア語の「這う→広がる」に由来する語だから、綴りが hur- にならず、her- のままです。同語源の serpent(有毒な大型の蛇)の ser- も同じく、やはり〔s〕〔ur〕と発音します。
 -pes の発音は〔p〕〔ee〕〔z〕で、母音はアルファベットの名前のEと同じように長母音で読みます。そのとき、語尾の -s は有声音〔z〕になります。発音は癖だから、何度か口にして、脳に定着させることが肝要で、理屈はどうでもいいと言えるでしょう。
 virus はラテン語の「毒、ヘドロ」からの移入語で、vi- は violin(バイオリン)・violet(紫)・violence(暴行)・vibration(振動)などの語頭にある〔v〕〔i-e〕と同じ音です。母音はやはり、アルファベット名の I と同じ長母音です。
 -rus の母音は弱母音のシュワー(schwa)で、この種の例は枚挙に暇がないほどで、pupyrus(パピルス)・chorus(合唱)のほか、-sus では Jesus(イエス)・census(人口調査)・versus(対)があり、-tus では lotus(水連)・status(地位)などですが、アクセントがないので、いずれも弱母音です。narcissus(水仙)から派生して「ナルシシズム」(自己陶酔)という語を作っています。
 なお、koi herpes virus をあえて仮名書きすれば「コイ・ハーピーズ・バイラス」のようになります。この語句には、r型母音の〔ur〕と子音の〔r〕が出てきますが、いずれも舌先を口の奥に巻き込んで出す音ですから、舌が口の中のどこにも触れないことに留意してください。
 この稿に取り上げた発音例は、日本人がほとんどカタカナ語として知っている英単語です。PV法を覚えて、カタカナ語を少し変化させれば英単語として使えます。野球に喩えれば、PV法は「キャッチボール」や「トスバッティング」のようなものです。基礎練習なしに野球ができないように、発音を知らずして英語は話せません。
(編集部)
2016.1.28(木)

2016/01/21

77歳が「大学入試センター試験」に挑戦

【新・英語屋通信】(62)

 先週の土曜日に大学入試センター試験の英語の部があった。私はいま自分の英語力を測定するスケールを持たないので、物は試しと挑戦してみた。
 60年近く前の私の英語力は、大学になんとか入れた程度の実力で、65歳くらいまでの英語は使い物にならなかった。英語が必要な職業であるにもかかわらず、仕事が多忙すぎて、還暦を迎えるまで英語をほとんど勉強できなかった。最前線から離れたあと、ようやく本格的に英語の勉強を始める機会が得られた。
 毎年のように新聞に掲載された模試の紙面を取っておいて、そのうちやろうと思いはするものの、実際に大学を受験するわけではないから、モチベーションがいまひとつ高まらないうちに、面倒臭さが最優先して、忙しさに紛れて、とどのつまり新聞を処分する繰り返しで4半世紀が過ぎた。
 そもそも新聞の文字が小さすぎて、私の老眼鏡では間に合わない。拡大コピーしたが、平体のかかった8ポイント弱の小さな文字は、老人の視力には厳しい。でも、読めなくはないし、英語学習の本気モードになってからの歳月の経過からすると、今年で高3の年齢に達したので、一大決心をして、問題に立ち向かった。
 第1問は「発音」問題で、前半は「綴り」と「単音」の関係だから、PV法を知る者にはなんてことない。後半は「アクセント」の位置だから、答え合わせの必要もなかろう。
 第2問は「文法」と言うべきか、「語法」と言うべきか、耳と口がなんとなく覚えているので、なんとかこなせたが、いまいち「時制」の使い方には自信がなかった。
 第3問は「英文解釈」の問題と言うべきだろう。読んでみると、知らない単語が1語もなかったが、international communication(異文化交流)など、日本語と一致させられない語はあった。
 約半分をやり終えて、ちょっと疲れたので、ここでストップして、自己採点したら、なんと満点だった。びっくり!
 第4~6問までの残り半分は、いまはやめておこう。ちらっと見たら、手の出ない内容ではないが、やる気になったら挑んでみよう。でも、あまり乗り気になれそうにない。私は半年前の77歳の誕生日にタブレットを買ってもらって、それ以来、1日置きのペースで Between the Lions か TED のどれかを見ている。試験の英語は正しいのだろうが、本物の英語に比べると、なにかしら人工的な印象があって、異和感を覚えてしまう。
 じつを言うと、最初に問題を読んだとき、すぐには正確な意味を捕捉できなかった。ということは、耳で聞いたら、わからないということだ。つまり、書き言葉で満点を取れても、私の英語力は話し言葉の実戦では役に立たないシロモノだ。
 時間は計っていないが、丹念に読んだら、大雑把に中身を把握できた。制限時間には間に合っていなかったと思う。問題をやり終えるころになって、解答が番号記入方式だから、4択の解答部分を先に理解して、そのあと設問部を読んだほうがやりやすいことに気付いた。引っかけ問題がありはしないかと疑ったが、設問を百パーセント訳さなくても、常識的な答が用意されていて、この試験はなんじゃいと思った。
 要するに、私の英語力はデスクワークでお手伝いできる程度でしかなく、ビジネス英語のグラウンドに立てる選手になれないと再認識して、価値の低い高得点と評価した。センター試験には、現場英語の実力を計測できる目盛りが刻まれていない。 2016.1.21(木)
(S・F)