2015/07/21

AETの英語音声指導に具体的な統一性を

【新・英語屋通信】(36)

 外国人が日本で職を得て働くには、日本語という巨大な壁が立ちはだかっている。英語話者の採用が大量に見込める唯一の職業は、AET(英語補助教員)にほかならないが、採用手段は市町村ごとに著しく異なっている。そもそも、基準がないのでは?
 AETの導入は、英語の音声教育に主眼を置くものの、何を教えるべきかが曖昧だから、全国的に統一された教授法は確立されていない。文科省は教科書検定で重箱の隅を突つくような細かい指示を出すのに、AET連のばらばらな活動ぶりは見ないふりして野放しにしている。言語は使うための道具だから、慣れるだけでは目的にならない!
 私どもが知るAETには it is の短縮形 it's と it の所有格 its の両方とも its と書く者がいた。there と their を逆に綴る者もいた。英語は話せても、読み書きの学力が足りないAETが全国にごろごろいる時代があった。現在はどうだろう?
 約70年前の終戦直後、日本人が英語を学びたがる動機は、実生活と密接に関係していた。漫画の『ブロンディ』に見る当時のアメリカの平均的家庭は、育パパのダグウッドがいて、自動車や電気冷蔵庫のある裕福さで、ミュージカル映画に胸をときめかせたが……。
 そんな日本人の憧れの的をフランスの哲学者ポール・サルトルが無個性の「画一主義」と評した。巨大資本に基づく大量生産のせいで、アメリカ社会は間違いなくワンパターン化していた。当社刊行の『アメリカの高校生』を編集したとき、教育システムまで形骸化していると知った。ファーストフード店のあり方やスポーツに興じるアメリカ人の様子は、いまなお類型化が色濃い。只今「ジャパン」は追随中か?
 わが国の英語教育は、アメリカの凋落で単なる学力判定用の受験英語と化した。国際化のもと、私どもは音声教育の重要性を鑑みて、AET向けに“How to Teach English to Japanese Students”を制作して、日本人教師が日本版の『英語ゲームの教科書』を併用すれば、格差のない効率の高い英語授業になると判断したが、大誤算だった。甘いね!
 日本をぶらりと訪れる昨今の英語の使い手は、個を掲げる「個人主義」の目立ちたがり屋だから、規制にとらわれず、やりたい放題を好む勝手主義の輩が多い。AET職は好きにやりなさいという放置主義だから、明確な目的を求めない方向がぴったり合致して、無秩序なAET授業になっている。日本人の英語力を育てる明確な目標を定めて、強いリーダーシップのもとでAETの活用を具体的に検討する時機が訪れている。(S・F)
2015.7.21(火)