2015/07/02

「わかる」と「できる」と「できてわかる」の違い

【新・英語屋通信】(31)

 portfolio[port(運ぶ)+folio(葉)=1枚の紙]は「紙挟み」や「書類かばん」を意味する英単語です。そのほか「2つの項を設定して、この対立概念(イエスとノー)を組み込むと4つの局面が生じますが、その図式の形状が木の葉の葉脈を連想させることから、この図表も「ポートフォリオ」と呼んでいます。
 publish or perish(発表するか、さもなくば死)という言葉があって、近年の学者とりわけ理系の研究者は、海外の知識を導入する必要上、英語で書かれた研究論文を読まなければならず、実際すらすら読める人は多くいます。書ける人もいて、限定的ながらも、仕事英語が「わかる」人はけっこうな数にのぼります。しかし、彼らが英語を自由自在に話したり聞けたり「できる」人たちであるとは限りません。
 また、親の赴任先が英語圏であったために、幼年期から英語話者の中で育った者が少なからずいて、彼らは日常英語を難なく話したり聞いたり「できる」人たちです。しかし、専門的な知識や経験が足りなければ、通訳的な仕事に就くことは可能であっても、文化英語が「わかる」人たちとは言えません。
 英語が「できて、わかる」人は、ざらにはいません。いても超少数派だから、その主張を世の中に浸透させるのは難事業です。わが国のメディアは、英語が「わかるだけで、できない」人や「できるけれど、わからない」人たちが色メガネで見た尤もらしい情報に占拠されています。とはいうものの、英語情報は質量ともに手に負えない状況です。
 国民の大多数は、どこかの時点で挫折して、英語が「わからないし、できなくなった」者たちだから、加工された中途半端な情報に振り回されています。今後は世界からもたらされる本物の英語情報を自ら分析できる国民層を分厚くする必要があるでしょう。
 英語がわからないし、できないのは、国の方針と学習法と指導者が駄目だったからにほかなりません。日本語が使えれば、脳の言語野は正常なわけで、英語だって使えないはずはないでしょう。ただし、英語は日本人の母語ではないから、限られた時間内で効率良く学ぶしかないのです。英語話者が母語を身に付けたのと同じように学ぶには、学習時間の短さを補うために「質の良い」学習法で「できるだけ多く」トレーニングすることです。
 英語はまず「PV法」で話し言葉の音声の基本をモノにし、「語源法」でネズミ算式に語句を覚え、「チャンク法」で文型が口から無意識に出てくるよう学びます。(編集部)
2015.7.2(木)