2015/05/02

技術はひたすら“反復練習”で身に付ける

【新・英語屋通信】(3)

 出席者の大半が英語話者だけの記念行事に招かれて、図々しくも私は英語で挨拶した経験があります。場所はハワイで、参列者は水産関係者と観賞魚の愛好家でした。10分間に満たない短いスピーチだったので、原稿を読むのではなく、一字一句を丸覚えして、自分の言葉でしゃべると決めました。
 母語であっても、よそいきの儀礼文は、とかく不自然になりがちだし、聞き手に視線を向けて話すほうが親しみが湧くであろうと考えたからです。そこで、私が書いた草稿を英語話者にリライトしていただき、声を出して読んで、発音上の細かい点をチェックしてもらいながら、利用する単語や言い回しの訂正を重ねました。
 完成した挨拶文は、毎日の犬の散歩時に口に出して何度も何度も反復練習して、話の変わり目のチャプタリングでは指を折る仕草を目印にして、完全に暗で言えるようになりました。ミーティングのある早朝、原稿なしで読もうとする私を家内が心配して、宿泊したホテルの部屋で模擬テストさせられ、すらすら言えたのでOKが出ました。
 結論を言うと、大失策をやらかしました。ハワイ州の副知事と水産関係の大学教授が述べる言葉を聞いているうちに、余計な雑念が湧いて「よし、この表現を使って始めてみよう」と頭の中で冒頭部を書き直しました。
 出だしはほぼ無事にこなせましたが、チャプタリングでの指折りの動作に齟齬が生じて、丸暗記していたはずの原文との繋ぎがもたついて、モノにしたつもりの作品を台無しにしてしまいました。かっこよく、と欲を出したのがミステークでした。
 私の失敗など誰も気にしないはずですが、自分の英語が付け焼き刃であることを忘れたのは大失態でした。チャレンジ精神は間違っていないと思うものの、英語話者が聞くに耐えない拙い英語は、公式の場で使うべきでないと反省しています。
 母語は赤ちゃん時代に形成されます。外国語で丁々発止の交流ができる言語力の獲得は、二十歳くらいが最終年齢の限度ではないでしょうか。日本人が英語をモノにするには、ひとまず日本語と異なる音声を反復練習して自家薬籠中のものにすることから始まります。
 アスリートたちの誰もが技術を上げるには反復練習しかないと言います。カーネギーホールに出演するには繰り返し練習するしかないという名言もあります。“反復練習”は技術を身に付けるためのキーワードなのです。
(S・F)
2015.5.2(土)